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2012年6月21日 (木)

宮崎車旅回顧録(11)【平和台公園~日向】

 5月3日(木)  14:30 昼食後,平和台公園へ行く。
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 公園のシンボル「平和の塔」,平和の塔になぜ「八紘一宇」の文字があるんだっ?。
 確か第二次世界大戦中に,日本軍が大東亜共栄圏の建設を目指し使った言葉ではなかったかな?。

 ちょっとふに落ちなかったので,ネットで調べてみた。

 「平和の塔」は宮崎市中心部北西の高台、平和台公園(戦前は「八紘台」と呼ばれていた)にそびえ立つ塔。正式名称は「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」。設計は、彫刻家の日名子実三。現在は「平和の塔」と呼ばれている。
 神武天皇が大和に東征するまでの皇居と伝えられる皇宮屋(こぐや)の北の丘に1940年(昭和15年、「皇紀2600年」を記念して建造された。
 この塔の建立に当たっては日本全国からの国民の募金・醵出金がその費用の一部に充てられた。また、日系人が多く住む中南米やハワイ、同盟国であったナチス・ドイツの企業DEST、イタリア王国からの寄付もあった。さらに日本軍の各部隊が戦地から持ち帰った様々な石材が使用された。
 高さ37m、塔の四隅には和御魂(にぎみたま)・幸御魂(さちみたま)・奇御魂(くしみたま)・荒御魂(あらみたま)の四つの信楽焼の像、正面中央に秩父宮雍仁親王の書による「八紘一宇」の文字が刻まれている。内部には神武東征などを記した絵画があるが非公開。第二次世界大戦敗戦後に「八紘一宇」の文字と荒御魂像(武人を象徴)はいったん削られた、後に再興された。この復元運動の中心となったのは、観光立県・宮崎の生みの親であり、当時は県の観光協会会長だった岩切章太郎宮崎交通社長だった。
 1964年(昭和39年)の東京オリンピックの際は、聖火リレー宮崎ルートのスタート地点にもなった。(Wikipediaより)

 八紘一宇という言葉について、戦前の日本が侵略の正当化に使った、という説明がある一方で、人種差別撤廃やユダヤ人救出につながっていった主張だった、という肯定的・積極的評価もあります。
 世界平和や正義と同じく広い考えを持つ言葉で利用しやすい言葉だと思います。(教えてGooより)

 人種差別撤廃やユダヤ人救出につながったという考え方があることは知らなかった

 平和台公園の一画には「はにわ園」があった。

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 この埴輪は,日本各地で発掘される埴輪を模作したもので,すべて一人の女性によって作られたもので,全部で400基程あるそうだ。

15:00 日向へ向かう。
16:30 道の駅「日向」で夕食
20:00 日向サンパーク温泉「お船出の湯」で疲れを癒してから車中泊。

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コメント

コメントありがとうございます。
仕事(パート)の関係で,最近は遠出の車旅ができないことが残念です。やりたいことがやれないと,ストレスも溜まります。
昔の紙幣に平和の塔が印刷されていたとは知りませんでした。第二次世界大戦の頃発行されたのですかね。調べてみたくなりますね。

はじめまして。楽しそうな旅ですね。事故には気をつけてくださいね。そういえば、昔の紙幣に宮崎の平和の搭が描かれたものがありましたよね。何円の紙幣だったかなぁ~。

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